クリーンな自殺を考えるにあたって

クリーンな自殺については2012-01-18に定義してみた。

これを深く考察していきたいと思う。

まず。自殺は死ぬことであります、そして人は必ず死ぬものであります。迷惑な自殺と混同してはならないのは、自殺以外の方法で死んだ場合と比べて、手続き上周りにかかる負担が同じ場合、それを理由としてクリーンな自殺でないと言うことはおかしい、ということであります。

詳しく書くと、死亡したら医師による死亡診断が必要であり、これがなければ火葬できない。だから、医師に死亡診断書を書かせるという、自殺しなかったら発生しなかった医師の業務を発生させた。迷惑だ。と、主張する人がいるとしよう。この主張は明らかに詭弁であります。

仮に、どの季節に医者が忙しい、や、どの地域に医者が少なく勤務が過剰である、との情報を知った上で、医者に迷惑をかける目的で医療過疎地で医者の繁忙期(伝染病流行時、災害の時)に自殺をするのは迷惑かもしれません。

逆にクリーンな自殺であれば、医者が暇な時期に自殺を行うことは、医者の負荷分散のために有益ですらありえます。それは、不摂生な人間が、その不摂生故の免疫力低下で伝染病で死亡する迷惑と比べれば、遥かに良いことであります。

つまり、人は必ず死ぬという大前提において、クリーンな自殺を考えるにあたって、自殺以外の死因でも発生するコスト全てをあたかも自殺により発生したコストと考えることは正しくないということです。