迷惑ではない自殺って?「クリーンな自殺」について考えよう。

世の中は表向きは自殺はするなという。

しかし、馬鹿発見器と揶揄されているネットサービスやSNSでは、鉄道飛び込みを筆頭に、自殺するのは勝手だが、迷惑はかけるな、という意見が大きな勢力となっている。

死んだ後自分を自分で荼毘に付すことは凡そ不可能なので、死ぬのは他人に負担をかけるというのは誤りではない。しかし、それは刑務官や殺人者に殺されても事故で死んでも病気で死んでも老衰でも死体は誰かが片付けなくてはならない。人は必ず死ぬという事実からすると、手間という点では同様なので、死ぬこと自体が迷惑という理由は成り立たない。

問題はその方法である。非常に大きなウェイトを占めているのが、電車で遅刻したor帰宅が遅くなった、迷惑だ。近所で自殺された、評判が悪くなって損害を受けたなどである。社会的に問題になっているのが、毒ガスが発生して騒然となった、迷惑だ。

では、迷惑でない自殺とはどのような方法があるのであろう。

自殺は迷惑との主張の理由を集め、その迷惑である理由を極力取り除くことにより、「クリーンな自殺」が完成される。

毎年の公式自殺者数は3万人、日本人口の僅か0.025%にして、死亡者数の2.6%と大して大きい数値ではない。

しかし、「クリーンな自殺」が無い現状、迷惑な自殺や危険な自殺が起こっていることは確かだ。自殺者にも社会にも双方に利益がある、「クリーンな自殺」方法を考えることは社会的に有益であるのではないだろうか?

自殺者の都合は考えなくて良い、という意見もあるだろう。それなら、書き置きを残してのマグマの噴出する火口への飛び込みを提案すれば良い。しかし、火口に近づくのは困難かつ、火炙りと同様想像し難い苦痛を伴うと容易に予想されるので、自殺者は選択しないだろう。

であるから、自殺者にとっても即死・既遂率の高さといったメリットのある自殺を考察すべきである。