(ご紹介)終わり −− 気味が悪い、君(不気味な人の日記です。) [←原作者が決めた題名です]

自殺を予告した人の最後の記事です。
記事名:終わり ブログ名(説明):気味が悪い、君(不気味な人の日記です。)
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終わり

自分の人生を総括しようと思ったが上手く言葉が出てこない。
上手く表現出来ないし、何よりも俺自身がよく解かっていないのだと思う。
それでも最後に書いておこうと思う。

ずっと苦しかったのは確かでそれが根底。でもその上に少し嬉しい事があったり感動したり、
心が動く様な事があったのも確か。
そして、それが焼け石に水でその苦しさが少しも消えなかった事も確か。

でも、この嬉しさや感動が何か温かいもので、それこそが正しいものだと信じていた。
苦しさは必要だけど、苦しさだけじゃダメだって感じてた。
その為には人と関わって人を好きになって、
その中で生きていく必要があって、そういう能力が必要なんだって思ってた。
何をやっても埋められない心の空虚さの原因はそれなんだと。
だから何とかそうしようともがいて足掻いていた。

でも、俺には出来なかった。
それは俺を苦しめてきたものこそが人だから。
全ての人が俺を苦しめた訳じゃない。俺を苦しめた人達が常に俺を苦しめていた訳じゃない。
中には助けてくれた事だってあったし、そういう人もいた。
それでも、何をしても何をしてもらってもすぐにかき消されてすぐに苦しみに支配される。
人を好きになっても、何かの一つの言葉、仕草で一瞬で嫌いになる。
憎しみや恨みだけが増幅されていく。
それは誰のせいでもなく、自分のせいなのだと気付いた。俺に問題がある。
俺の受け取り方、感じ方が苦しみを作り出しているだけなんだと気付いた。
だから何とか自分を変えようとした。
人を好きに感じられるように、温かいものを温かいと感じられるように、俺の感じ方を変えようとした。
自ら人と関わって人を知って人の中で生きようとした。
でも、その先に感じたのは、「変わった」という事ではなく、「俺は一体誰なんだ」という思い。
俺の根底は変わらず、人が嫌いなまま、もう一つの自分が表面的に人と関わっている、
そんな感じになってしまっていた。
だから一人で生きられるように何か技術を得ようとした。
でも、結局それも、何をやっても人と関わらなければダメで、人は一人じゃ生きられない、
そう再認識させられる結果になっただけ。始めから解かってたのに。
その時に崩れた。何もかもが崩れ去った気がした。
俺は変わらない。何をどうやっても根底の俺自身を変えることが出来ず、
そしてそのままの俺では生きることは苦しみしかない。
生きられるように自分を変える事も出来ずに、でも、自分のままでは生きられない。
その自分の無力さに、弱さに「ああ、もうダメだな」って思った。
どうしようもないって思った。
俺の弱さ。それがこの結末の原因。
強くなって、戦って、騙し合って、潰し合って、殺し合って、奪い合う。
そんな生き方だったらもう生きなくていいって諦めた。それが俺の弱さ。

だから、今は「もういっか」という気持ちだ。
俺の人生は今日で終わる。
やっと終わる。
疲れた。
もう、楽になりたい。

今まで見てくれた人、拍手ボタン押してくれた人、コメントくれた人、本当に感謝しています。
自分なりの幸せが手に入る様に祈っています。
ありがとう。
そして、さようなら。

2013/02/12(火) 14:36:00

様々な職につきながらも、仕事にあわずに退職。読む限りでは、仕事や給与の不満もあるけれど、根底には仕事が上手くいかない苦しさが現れている。仕事が上手くいき、体力、精神力が人並み以上に強ければ、彼は薄給で長時間労働でも受け入れていたのじゃないかと思う。給与額からすると、一般の下層社員・低年齢層の中短期バイトも含むが・・・のような良い生活はできずとも、働いて、食う。これを戦争や恐慌がなければ定年まで繰り返すだけの人生なら送れそうな感じだ。

そんな社会で、彼は仕事の不満はあれど、社会への不満を言うようなことは無く、穏やかで慎み深い性格なのだと思う。苦しまずに無事成功したとしたら、彼に何も与えなかった神様が、彼にはじめて与えた、いわばお情けなのかと思う。

彼のような人物が淘汰されていく時代。いい世の中なのだろうか。