30歳以上の失業者の「詰む」とは。 人生が詰む とは。 CARPE・FIDEM(八起進学校)

「詰む」・・・・・・この言葉は、近頃ホットなワードとして急上昇してきた、耳慣れない言葉です。

将棋用語で、「詰む」というのは、「どんなことをしても、負けることが確定した状態」を、表します。他に選択肢は無く、絶対に負ける状態……。これを「詰んだ」といいます。

この単語を借用し、「30歳以上の失業者は、詰んでいる」、と表現されることが増えています。
(例:週刊ヤングマガジン 2013年14号 447ページ 小田原ドラゴン作、チェリーナイツR 23話)
この意味の説明を、CARPE・FIDEMグループという、進学塾と、人生再チャレンジ支援を行なっている会社の説明が非常にわかりやすいので、コラムを引用して説明したいと思います。

人生が詰んだ状態というのは、「生命を維持する最低限、(住んで)食べるだけの、お金を、自分の実力で稼ぐことができなくなった状態」 であり、「その状態から、抜け出す方法が、(正当な方法では)存在しなくなった」状態で、遠くない将来確実に貧困で死ぬ状態です。」
(※タカリなどのモラル無視、脱法、非合法、犯罪になる行為を行うのであれば、生存出来るという状態は、詰む、詰まない以前の問題です。まともな人間として、生き残ることはありえない状態です。)

CARPE・FIDEMグループにもできないこと、それが、「30歳以上の失業者の社会復帰」。その理由を、淡々と、事実や経験のみを元に、ただ現実と結果のみを記述しているのが、下記引用紹介する

不登校・引きこもり相談問答集7
http://www.carpefidem.com/column018.html

です。

あれこれ書いても仕方ないので、引用をどうぞ。

 現実問題として、引きこもりから抜けるのは案外容易です。
しかし、生きるだけの資金をコンスタントに手にし、社会の中に無理なく溶け込むには、
多大な労力を要します。
ここのハードルが極めて大きく、
本人がどれほど頑張っても、そのハードル越えの途中で資金がショートしたら目も当てられません。
 上記のような場合、
現実的な「死」が、近接した未来のどこかで確実に発生するでしょう。
公的扶助による生活保護という手もあるでしょう

今の余裕の無い日本で「10年以上何もしてこなかった引きこもりにも生活保護を!」等と訴えれば、
袋叩きにあってもおかしくないはず
です。  実際、このコラムの反響を幾つかのサイトで拝見していたところ、
引きこもりの生活保護受給に反対する意見を相当数見かけました。

普通に社会生活を営み、納税している方々からすれば、
何故、何もしてこなかった連中を援助せにゃならんのだ?
と考えても、全く不自然ではありません。
国の方向性としても、生活保護は漸次縮小する見込みですから、
この選択肢は最初から期待しない方が良いかと思われます。
 対応が遅過ぎたせいで自力でもカバーし切れず、
かと言って、公的機関のサポートも薄いとなれば、
「生きられるだけの最低限のお金」さえ手にすることが出来なくなるでしょう。
これは、事実上
「生存不可能」=「詰む」
と言って間違いないのではないでしょうか。

CARPE・FIDEMグループ(八起進学校)は、進学塾ですが、引きこもりを立派な社会人の
架け橋となる難関大学の学生として送り出すこともしている、少し幅広い塾(予備校)です、
さらに、その対象には、現在、詰みかけている、中盤以降の20代。も受け入れている先進的な塾のようです。

不登校・引きこもり相談問答集7 に、書かれていることは、無学な私が諦めるまで30歳から3年間就職活動を行なった過去の実例、及び、知り合いのワーキングプア脱出者(家庭の都合で、ワーキングプアにもなったが、現役年齢ではないが、奨学金(借金なのかもしれない)等で上位国立大学を卒業し、30歳をすこし超えた頃には、家庭を持てるような収入(年収400万円強)を得る人となった)の事例と一致します。私の実体験から、ここの記述の信ぴょう性を私は制限内で保証できます。少なくとも、私の周りでは、例がなく確認できない内容を除いて、事実として存在します。

30歳を超え、無職の人は、一度、全文を読んでみてはいかがでしょうか。
おすすめです。

私はこれを何度も読み返し、現状を理解しました。冒頭には、「話がややぞんざいになっている部分があります」と、一言ありますが、私には、本当に真摯に、事実を、淡々と書いている、とても良い文で、ぞんざいな部分など微塵も感じさせず、更に、ご配慮なさったのかな、とおもわれる部分があるぐらいです。

自分(筆者)宛の文章として読むなら、今流行のCMをパロって一言で言い表せます
「いつ死ぬの?」
今でしょ!

※正しいキャリアを詰み、自己研鑚を怠らず、単に転職時の事務的都合や、将来の具体的な計画がある上で、単に職がない状態の人のことは、ここで関係ないのは明らかです。それらの方々は関係ありません。注釈つけるほどではないですが、万一誤解する揚げ足取りが発生したら面倒なので、一応書いておきます。