大人もやっているいじめを子供の世界だけ撲滅させることはできない。

自殺の練習を含めたいじめは、大人なら日常なことです。いじめ撲滅など絶対無理だし、いじめ撲滅と叫んでいる人はいじめが無くならないことを完全に理解していますし、無くならないいじめを無くすアピールをして支持を得ています。

学校も出ていない高校生未満だと知らなくてそれは当然です、大人の世界ではいじめは正当な競争として賞賛されることなのです。孫子の兵法にも「勝算がなければ戦わない」と書いてある通り、宮本武蔵不敗の秘訣は「逃げる達人」だったからと言われています。

勝てない互角の勝負をするのが正々堂々だとか、フェアだとか言われていますが、大人による対等な戦いはエンターテインメント無知によるものなのです。決して本気ではありません。大相撲の八百長が良い例です。

今、ロンドンオリンピックで、選手のフェアな戦いを楽しんでいる人が大勢いるでしょう。断言します。あれは見世物です。その証拠に、インターネットや録画機器を庶民が使えるようになった現在、誤審や無気力試合で度々話題になっています。今は昔とちがい、インターネットによる口コミも他国の放送の視聴も、一般観客の撮影も見ることが出来るので、バレる・騒ぎになるのです。(オリンピックの無許可撮影が認められているか否かは別として。)オリンピック協会や放映料金を払ったテレビ会社以外の加工・操作・細工されていない状態が伝聞されるようになったからです。スケートの世界でも、ネットが無ければメディアによるキムヨナ押し、浅田嫌いも当然の印象捜査として、「ダントツのキムヨナ、浅田足下にも及ばない」という電通博報堂製の常識が出来あがったでしょう。

大人の入り口ともいわれる就職活動。あれは事実上の本当の殺し合いです。勝ったら主人になる、負けたら奴隷になる。主人が奴隷を虐げることは虐めとはいいません。しかし、仕組みは子供間のいじめと何ら変わりません。奴隷がいないと困る主人は自殺対策などを行います。外国では、奴隷になるのを望まない人は武器をとって戦います。これは国歌の歌詞にすらなっているところもあります。

いじめで自殺する子供は不憫ですが、最早あれは子供のいじめではなく、大人のいじめの代理戦争で駒がかわり潰されたとしか言いようがありません。人権団体・会社社長・地方の名士・警察関係者?などをバックに持つ彼らが絶対に負ける訳がありません。しかし、今はネットの時代。加害者を追い詰めることでいじめっこに一矢報いたい派遣の負け組奴隷が大勢騒ぐので、前代未聞の大騒ぎになりました。

皇子山のいじめは氷山の一角に過ぎません。今この段階でも大量の子供いじめ加害者はいじめを楽しみ、また、被害者は自殺に追い込まれようとしています。

いじめを撲滅することは不可能です。ここまで読んだら分かるでしょう。いじめを撲滅するということは犯罪差別貧困を撲滅するという夢物語と何らかわりません。いじめゼロ運動など全く無意味で教員や教育委員会・関係者の負担・不正を増やすだけ。

では、どうすればいいのか?いじめは起こる、戦え、そして、負けたら死ね。いや、大人なら死ねと言えるが、子供にそれは要求できない。なら、ある程度で大人が介入し一線を超えないようにすればよい。しかし、「次(=社会に出れば)は誰も助けてくれないぞ、死ぬしかないぞ」と。

いじめゼロなどというから、「いじめはなかった」「いじめとの因果関係ない」などの保身が働き、それが、加害保護者・PTA・教師・校長・教育委員会監督官庁・警察・裁判所ぐるみの公務員を守るための隠蔽になるのである。そもそも、過度の過疎学校を除き、「わが校では今年のいじめは確認できない」などという報告をあげる校長は、明らかに嘘つきかとんでもないツンボなのだから。

もし県警本部長が、「今年の警備は最高で一切事件は発生しなかった」と報告して、誰が信じるのですか?