健康でない(病気・怪我・障害)には2種類ある。

WHO世界保健機関では健康をこのように定義しています。

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが
満たされた状態にあることをいいます。]

しかし、日本での健康かどうかの判定はちがいます。日本では、2種類と便宜上1種類の計3種類ありまして、
1.医者に認められた病人・けが人・障害者(不健康・一般的に言われるケガ・病気・障害者)
2.医者が認められない体の不具合・精神の不具合・運動の不具合(診断基準の無い病気、保険点数の付けられない病気・医者の都合による健康扱い…企業都合による産業医の診断、長期入院は入院収益が安くなるので退院させるための診断。医者に心付けを渡さなかった仕返し。)
3.事情があって症状等関係なく医者が病気と認めた状態(都合が悪くなった政治家などの緊急入院・金銭給付目的の詐病診断・医者と診断依頼者の結託による不正)

3.は特別だから言及しません。

 1.と、2.の違いですが、医者という人間の状態に対し絶対権力を持つ人間がこの世に存在していて、医者が「この人は重度の身体障害で歩けません」と診断すれば、その人が42.195キロの道のりをノンストップでマラソン2時間台で市役所まで駆け抜けてきて、障害者年金の請求をしたとしても、市役所の役人は書類さえ完璧であれば無条件で歩行不能の障害者の証明、取り扱いを行います。両手麻痺で指や腕が動かないとされる人が自分で申請書を書き、押印し、両手で申請書を提出しても通りますし、重度の痴呆で自分の名前すらわからない人が書いたとされる書類を提出されたとしても、医者が健康であるといえば、役所は受理します。

 これに対抗するには、同等の「医者である者」に、この診断は誤りである、と診断させなければなりません。この例では極端すぎてばからしく、誤診であると証明する「医者」は容易にみつかると思いますが、普通であれば、ある程度診断される側が演技でもすれば、「同業である医者の判断に異議を唱える医者」は極めて少ないです。なぜなら、「医者」しか出せない診断なので、お互い同じ医者という立場を守り合う事は双方に有利だからです。さらに、自分が出した妥当な診断に対して「誤診」と報復される可能性すらあります。

 つまり、医者には強権があり、「医者の診断は医者でしか異議をとなえられない」し、医者には意図的なものに限らず誤診から強く守られています(それでも医師会は医者の責任が重すぎると文句を政治家を通じて表明しています。)役所の言い分は「医者の診断だから、医者の判断にそって事務を行ったから問題ない、全ては医者の責任だ」という構造上の問題です。

 いくら左足の膝から下が無くなっていても、医者が「五体満足」と診断すれば、それは公的には五体満足であり、例えば小中学生であればマラソン大会に出場しなければならず、実際問題出場できないので、「ズル休み」となります。これが罷り通っているのが日本の行政です。

 なので、1.の人は本当に完全に健康であったとしても、病人が受けられる利益(駐車禁止の除外・公的年金・障害者優遇)が得られる訳で、2.の人はいかに不便があったとしても、極端な怠け者と扱われる訳です。

 今の日本では、医者の能力もモラルも極端に悪くありませんから、それほど問題にもなりませんが、強度の頭痛がとまらず毎日倦怠な人でも、医者が原因不明で「健康」といえば、頭痛を理由とした行為はすべて詐病かつ言い訳となり誰も許さない状態です。

 ですので、好きな診断書をいくらでも書いてくれる医者とは仲良くなりましょう。今、大都市圏では医者余りが発生してきて、アンダーグラウンドな世界では、あの先生なら書いてくれる、という話を聞くこともあるでしょう。(おおっぴらにやってた人はいなくなってしまいましたが)

 2.の健康扱いされている人は悲惨です。実質的に能力がないのに健康者と同じ義務を課せられます。両足切断状態でも、荷物を配達してこいといわれたら、しなければ職務命令違反で解雇対象となります。東京大学医学部に余裕で合格する知識・能力・判断力を持っていても、診断さえもらえば「知的障害」として公的補助を受けられます。

こんな狂った世の中、生きる必要ありますか?