年寄りの害 老害 (障害者 無能者)

老害とは何だ。年寄りの害とは何だ。
人間を年をとれば害になる。社会悪になる。例外は無い。
さて、人間は年を取れば害になるが、その年令は個体によって様々である。天皇(79歳)や、石原慎太郎(80歳)、やなせたかし(94歳)、日野原重明(101歳)など、もはや平均寿命を超えていても老害でない人物もいる。
さて、特別な例はこの辺にして、特別に元気な者でなければ、年をとる毎に体力、記憶力、学習能力は衰え、業務に耐えられなくなる。病気を併発し、新しい考えを理解できず、反射神経も運動神経も衰え、周りに迷惑をかける、これが一般的な年寄りの害である。実務経験者を除き、還暦を過ぎた年寄りはほとんどが介護はできないし、三十路を過ぎた女性のほとんどは風俗で働くことはできない。これが現実である。
では、三十代の男性(無職・アルバイト・非正規)はどうだろうか。これはもうすでに「年寄りの害」なのである。彼らには若いものが例外なく持っている、真っ白なキャンバス、飽くなき好奇心、果てしない可能性、際限なき体力、無制限の精神力。これらを失っている。これらの代替となる「実務経験」というものを持っていなければ、彼らはもはや人間として単体では役に立たず、他人の利益にぶら下がり果てるだけなのである。

これらの無能者を年寄りと表記する。

年寄りは、その存在自体が社会悪である。年寄りは、存在自体が、自分で作り出すコストが、その人のために社会の負担するコストを下回り、上回ることはありえないからだ。そういう人間に対し、大金を注ぎ込むことをよしとしないのが、安倍内閣の副総理・財務大臣麻生太郎で、「不摂生者の医療費負担 腹が立つ」と、2013年4月24日に発言した。
「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで糖尿になって病院に入るやつの医療費は俺たちが払っているんだから、公平じゃない」
「こいつが将来病気になったら医療費を払うのかと、無性に腹が立つときがある」
これは、実際問題、もっと深刻な問題として起きている。たとえば、品川に住んでいたしみず そういちろうのように、「君たちが 共学の学校で女たちと ぬくぬくやってた間に 配管曲げたりしてたんだよ。下積みもなんもねー人たちに 将来があってたまるかよ」と言っている。ビル管理業 の しみず そういちろう さんは、高校、大学と勉強や職業訓練を受けず、ぬくぬくと生活をエンジョイした人間たちに「将来がある」ことが不満なのです。麻生太郎と同じ不公平さを感じている。
30代を過ぎたら、もはやその人間に積み重ねがなければ価値はない。これは痴呆症、パーキンソン病、末期がん、骨粗鬆症性、糖尿など、一般的な年寄りの病気のように外からは見えないが、実際その人間は存在が出来るだけで「一切何の使い物にもならない。決死隊としての原子炉の掃除もできない」立派な社会的無利益なのである。そして、そうなった理由は自己責任であり、そうなった非可逆的な理由は「年をとった」からである。これが年寄りの害なのである。
今は、このような「害な年寄り」が多すぎる。私も社会で色々経験したが、一つの職でも最高4年程度の実務経験しかなく、しかも、適性が無く周りに迷惑をかける業務であった。今同じ業務に就いたら、周りの足を引っ張る不利益な存在になる。お金を払ってでも出て行ってもらったほうが社会の利益になるというものだ。実際、就職相談でもそう言われたのだから事実だろう。サッカーの日本代表に、秋葉原で捕まえた適当なアキバ系インドアを入れて、邪魔をするようなものである。

この年寄りの害について、民意としての不平を公表しているのが、前述のしみず そういちろう氏で、国家大計としてその存在が害悪だと主張しているのが麻生太郎なのである。麻生太郎としみず そういちろう氏の言うことをまとめ、民意の一般的な社会人の意思を推計すると、
「勉強もせず社会奉仕、コミュニケーション能力の向上もはからず、仕事も適当に、単純作業をえんえんと繰り返し、今後老いてきた時のことも考えずぬくぬくと暮らしてきたやつを見ると、こいつらが将来年寄りになったときに生活や医療など公的扶助を行うのは、無性に腹が立つことがあり、自殺してほしい」
ということになる。実は、ネットやリアルで上場企業の下請けの正社員のふりしてコミュニティに参加して上場企業や公務員の正職員(数人は本人確認済み)の話を聞く機会があるが、この意見は実はかなり多い。公務員、特に教諭でも正に同じであり、子供たちを未来に導く人間が、30代、40代の同級生に対して、暗に、「お前がいると税金が高くなるし、公務員は大学同期と比べ待遇も悪いのに遊んで高給をもらっていると誤解(20代で年収500万円で少ないと言っている)しているし、俺達から給料減らしたら何がおこるかわからないよwフフフ」っていうぐらいである。
害となった年寄りは自己責任であり、また社会を蝕む社会悪でもあるから、そのまま自殺して欲しいと思っている人はかなり多い。そして、それを拡張したら、もう、年寄りは死ね、は有能者の総意である、ということである。彼らは地位があるから自殺は大声では求めないが、皆、本気で「死んでくれ」って思っている。私であっても、未婚のあまり縁の無かった従兄弟や、血の繋がりのない方の叔父叔母は、私の死を望んでいる。一族の中から不名誉な人間が出ることは好ましくないし、私のせいで、私の親の遺産が全額はいらないからである。(つまり、きょうだいの配偶者の一族)
私は年寄りである。死を望まれている。自死も望んでいる。しかし、自殺は自力で完遂することが条件であり、他者の関与は一切禁止されている。この異常性に国民が気づかないと、なかなか自殺誘導の完全な合法化は難しいものである。