いじめ、体罰の無い社会をめざして 〜第二次ゆとり教育の罠〜

 滋賀県大津市立皇子山中学校のいじめ自殺や、大阪市立桜宮高校の体罰自殺から、いじめや体罰に対する関心が深まってきています。
 いじめ・体罰の問題は昔から数年から数十年おきに繰り返し話題になっており、当事者からすれば今更感がすぎないが、「受験戦争」の弊害が「ゆとり教育」という害を及ぼしたように、「いじめ・体罰問題」が「第二次ゆとり教育」を引き起こしそうな状態を心配しています。では、「第二次ゆとり教育」とはどのようなものでしょうか。
 「第二次ゆとり教育」とは、いじめ禁止、体罰禁止の不自然な世界です。「いじめ」の発生により自動的に教職員がけん責、降格、解雇(非正規の場合)されるので、教職員はいじめに過敏になり、小競り合いや競争ですら認めなくなります。塾などでは当然、成績の良い順にテストが返却されますが、学校では成績がいじめの原因(毎回1位 や 毎回最下位どちらでも)になるので小テストを止めます。また、体罰も禁止、しかも「成績が下がってるぞおいこれで高校行けるのか?」と、聞くだけで「心の体罰」となって、問題にされるのです。そこまでいかなくとも、体育会系は、人間の能力の限界を超えてトレーニングさせるのに「体罰の恐怖」と「トレーニングの苦しみ」を天秤にかけて育つのです。ダッシュで100本できなければ殴られる。殴られるぐらいなら辛くても走ろう。このような微妙なやりとりが、基礎体力の面でスポーツの世界で良い結果をもたらすのです。もちろん、指導者がストレス発散のため殴りまくっている可能性もありますが。
 この「第二次ゆとり教育」が、何をもたらすか。競争できない人間、つまり、地球で生きていけない人間、が、出来上がるのです。人間社会は日本ではいじめあい、世界では殺し合いであることに異論がある人はいないでしょう。上司は部下をいじめ、買主は売主をいじめ、世間は社会をいじめ、誰も得しません。しかし、いじめあいに勝ち抜いた人のみが「悠々自適の老後」を手にすることができるのです。と、なると、若い子、特に「第二次ゆとり教育」の弊害をうけた子は、第二次ゆとり教育の範囲外である私立学校に通ったお金持ちや公務員の子供に絶対勝てないのです。いじめの仕組みをしらないから、加害者になることもできず、逃げ方もわからないからです。お分かりでしょうか。第二次ゆとり教育の被害者は公立学校へ行く負け組みの子供で、得をするのは私立学校へ行く文部科学省の官僚の子供となります。
 しかし、子供の自殺となれば話は別です。今回の桜宮高校の指導教諭も、皇子山の担任も、教師としての責任を負うべきでしょう。教師はいじめ・体罰に対し責任を持ち、それを原因とする自殺に対しては全責任を負うべきです。桜宮の教諭はなぜか体育科の入試の中止で安泰という不自然な状態のようですが、皇子山の教諭は全く姿を現せません。これだけ晒されてしまっては、むべなるかなといったところです。
 体罰については、一般の生徒にはほとんど効果がないとされています。しかし、体力の限界に挑戦する体育会系ではどうなのでしょうか。今回の体罰での自殺について、桜宮高校のキャプテン達が「先生は悪くない」と、記者会見までしました。「マインドコントロールされているようだ」という評論家もいました。その通りでしょう。マインドコントロールされているのです。マインドコントロールされないと勝てないからです。戦争中の自殺突撃も、現在のイスラム過激派による自爆テロも、天国へ行く権利が保障されています。精神の限界を突破しないと、対決してくる相手に勝てないのです。
 ですから、あまりいじめ・体罰と意味無く騒ぐと、結局、格差社会が開き、自分で死ぬことも、自殺の練習することすら思いつかない酷い世の中が出来てしまいます。およそ指導者が描いたほうへ国は進んでいきます。いじめのない社会がどれだけ歪か、よく考えてみたらいいでしょう。